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「不要不急」

 コロナのせいですっかり巷でも定着してしまった「不要不急」という言葉。各種SNSを見ると「初めて聞いた」、「意味わからん」などの投稿が結構あるのに驚いた。

 筆者が初めてこの「不要不急」という単語を聞いたのは、前世紀の1999年。1回目の彼の地駐在中の出来事。

彼の地でのテロ掃討作戦の報道

 隣国インドは既に核保有国であったが、対立するパキスタンもこの時期に核実験を行っていた。それと同時に両国(正確には中国も入れた3か国)が領有権を主張するカシミール地域の緊張が一気に高まる。

 彼の地駐在中だった筆者にとって、カシミールは遠いどこかの話。(調べてみると釧路から鹿児島くらい)。ところが、本部からしたら同じ「南西アジア」ということで、出張自粛命令が届く。これが不要不急の初体験。ちなみに、この時のカルギル紛争は62年のキューバ危機と並ぶ世界が最も核戦争に近づいた危機と言われている。

カシミール地方の地図

 そして、2回目の体験が、2001年の「9.11」。まだ彼の地にいた筆者はゴルフを覚えたてた頃。当時の彼の地駐在員の唯一の楽しみは2時間半のフライトで行けるバンコク出張(旅行)。筆者がいた組織では、当時は公費で日本に帰国できる制度がなかったが、バンコクには年に2回の「物資調達出張(ブッチョーと呼ばれていた)」という、日本食や生活物資を調達するために公費でバンコクかシンガポールに行ける制度があった。日本大使館では、大使公邸で要人宴席をしなければならないため今でもこの制度は残っている(しかも毎月)。ちなみに、筆者の組織では、ブッチョーは民主党政権下での「仕分け」で廃止に追い込まれた。ああいう国会議員に一度でも良いから「彼の地に住んでみてからそういうこと言ってくれ!」と言ってやりたい。いずにれせよ、バンコクは20年前の当時から本当に夢のような世界だった。これについてはまた別稿でお話ししよう。ワクワクする!!

バンコクの日系スーパーで調達した物資

 話を元に戻すと、公私に渡ってバンコク(彼の地駐在兵員の間では「桃源郷」)に行くのが楽しみで、ゴルフ覚えたての筆者は初めて週末にバンコクでゴルフをした時の感動が忘れられない。広々としたグリーンと女の子のキャディー。池ポチャしたボールを池の中に潜って拾って売りつける小僧もいない。ちょうど9月23日の秋分の日に当時の仲間とバンコクでゴルフをする約束をし、航空券も取って、その日を楽しみに毎日ワクワクしていたところ、2回目の「不要不急」。

バンコクキャディさん

 皆で議論した。果たして、桃源郷でゴルフすることは不要不急か。我々にとっては桃源郷での休息は日ごろのストレスを発散させ、心身ともにリフレッシュさせ、物資も調達するための死活問題なので、「必要火急」である!と。しかし、各組織の日本本社はそういう見方が出来ないだろう、ということで諦め、サラリーマンの悲哀を感じたのである。

 

 そして、3回目は4年前の2016年7月に彼の地で日本人7人の命が失われたテロ事件。あれから、外務省危険情報で彼の地はレベル2「不要不急の渡航を控えること」に。筆者も彼の地2回目の駐在は、テロというリアルに命の心配をしながら生活していたので、彼の地国内においても不要不急の外出を控えていた。もっとも彼の地駐在において、テロの心配がなくても外出する所ってないんじゃね?ってのが我々の定説ではあったが。

オフィスでは武装警官を配置

 そして今の彼の地。テロという目に見える敵(攻撃を受ける寸前までは見えないけど)とウイルスという本当に見えない敵と闘っている戦友がまだ残っている。しかも、海外との行き来を遮断されているため物資は一切手に入らない。4月の気候は毎日気温40度近くで湿度も100%近いだろう。

 翻って日本。誤解恐れず言えば美味いものは何でも手に入る。気候も最高。停電もない。断水もない。家にジッとしていることにストレスを感じるというニュースを見るたびに不思議に感じる日々。不要不急の外出は控えましょう!

新居大介(あらいだいすけ)